陰陽記2

12月は新しい年を迎える準備期間になる大切な月です。
大晦日に新年に向かってカウントダウンしていくシーン、
あれって不思議だと思いませんか。

毎日日付が変わるたびにみんなでカウントダウンすることはないですよね。
いつもと同じように時間が経っていくだけなのに、
新年を迎えるときは、なんだか特別なことのように思ってしまいます。
あの気持ちってなんでしょうか。

新年を祝うのは人間だけだと言われています。
しかも、どの国のどの民族でもいろいろな形でお祝いするのだそうです。
そこには昔から伝わる人類の特別な思いがあります。
あの切り替わりの瞬間を境に、気持ちをリセットすることができるからです。
もちろんゲームのように何もかもをなかったことにすることはできません。
嫌なことでも忘れてはいけないこともあります。
でも、毎年いったん仕切り直しすることができるチャンスとして
人間に与えられた特別な瞬間なのです。

だから私たちは大晦日までに
一年の振り返りをして自分なりに心の整理をして、
反省するべきは反省し、新たに希望や目標を考えておくことが大切です。
そして、新年を迎える瞬間は心機一転、
必ず笑顔で迎えるようにしてみてください。
きっといい一年を過ごせることでしょう。

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みなさまへ
今年も学校の教育活動にご理解とご協力をいただき感謝申しあげます。
どうぞよい年越しをお過ごしください。

旧暦10月を別名「神無月」と呼ぶ理由をご存じだろうか。
私は遅ればせながら教師になってから知った。
この時期出雲に日本各地よりすべての神々が集まるということで
出雲以外では「神無月」、出雲では「神有月」と呼んでいた。
そして出雲ではこの時期神々の会議が行われているのだ。

会議では全国の人々の運命について話し合い
誰と誰とを結婚させるかなどを打合せすると言われている。
政治や経済よりも縁結びがメインであるというから面白い。
やはり人間の大きな悩みは色恋ごとであるということか。
神々の宴会の肴に丁度いいのかもしれない?が。

そして今年の全国区の神の集合会議は
太陽暦で11月14日から11月30日に開催と決まっている。
その時に出雲参りをすると、直談判できるので恋の成就が期待できる。
既婚者の私にはむしろ関わってはいけない話し合いに思えるが
これから機会のある人は月の異名とともに憶えておくとよさげな話だ。

「誤った情報が事実となって広がっていき、物語となる恐怖心」
眞子さんのこの発言には思い当たることがある人もいたのではなかろうか。

当事者にしかわからないことがある。
それをいかにも事実を見たかのように
あちこちで語ることは控えたほうがいい。
説明が不足している?いや、もとから全てを話すことはできないのだ。
色々な出来事には色々な人々が関わっていて
その全てを自由に公表できないことは想像に値するではないか。

そもそも最初から無作法に「誹謗中傷」してくる相手に
真摯に話をする必要があるのか?
彼女が恐怖を感じ、まともな説明をすることに空虚を感じたとしても理解できる。
分別ある人の方が好き放題に発言しないものだ。
会見にも批判があったが、あれ以上どうしようもない状況に追い込まれていたのだろう。
多かれ少なかれそういった経験をした人は彼女のことばに頷いたことだろう。

芸能界でも同じような事案が多く起こっていると聞く。
相手が物言えぬことにかこつけて攻撃することは自己の品格を落とすことに他ならない。
誰もが被害者にも加害者にもなる時代。
自分で自分を貶めないように気を付けたいものだ。





昔は待ち合わせといえば、しっかり場所と時間を決め、
万一会えなかった時のことまで考えて事前に取り決めをしていた。
急に行けなくなったときなどは待ち合わせの店に直接電話をしたり
待ち人か来ない場合は伝言板なども使ってその場を去ったものだ。
何時間も待ったり待たせたり、そんな経験がある人もいるだろう。
それが原因で喧嘩になっているカップルなどもいた時代。

携帯が普及してその光景は一挙に変わった。
細かく打合せなくても、その付近に行けばあとは電話をかければいいし
つきそうな頃合いにラインをすれば互いにロスタイムもない。
ところが今回の修学旅行でのユニバーサルスタジオは少し違った。

一保護者から聞いた話だが
携帯を持たずに校外で待ち合わせをする機会はあまりない。
園の中だけのことだが友達と待ち合わせをするには
きちんと時間を守ってその場にいかなければ再会することはできない。
やはりうまく会えなかった生徒もいたようで
昔のように待つ習慣がないのはもちろん
まあ後から会えるだろうということで長く待つこともなかったらしい。
どこにいってたんよ、と笑って話せる程度の待ち合わせでよかった。

考えてみれば今までの修学旅行にこういった場面は殆どなかった。
全体で動くか、班で別々の行動はあった。
集合時間やチェックポイントなどは設けられているが
個人個人が自分たちで待ち合わせをする課題は与えていなかった。

世の中の事情が変わったのだからすべて昔のことを踏襲する必要はない。
だが、便利なものには落とし穴がある。
スティーブジョブズが自分の幼い子どもたちにスマホを使わせなかったのは
子ども時代にはその落とし穴の方が大きいと知っていたからだろう。
色々なことを経験させていかないと
実はずっと落とし穴の中で生きていることにも気づかないことになってしまいそうだ。














櫻井くんと相葉くんが結婚したのかと思った人もいただろう。
最初に見たニュースで名前の間に♡があったので私はそう思った一人だ。

そこで自分自身が「ふーんそうだったのか」と思っただけで
なんで?男同士で?といった疑問が起こらなかったことを再認識した。
むしろお似合いだなあと二人を思い浮かべていたのだ。
同じように感じた人もいたのではないだろうか。

かつては同性婚といったことを普通に話をするのをためらったり
中には今でも差別的に見る人もいると思う。
しかしながら世の中のあちこちで同性婚が取り上げることで
少しずつ偏見はなくなっている。

一方、先日日本人と外国人の男性同士が
日本で結婚したいが法律がないため致し方なく海外で、という特集を見た。

日本人男性は「選択肢がないのはおかしい」と涙ながらに語っていた。
人を傷つけたり迷惑をかけたりするものでなければ
自分ではどうしようもないことを理由にされて
選択すらできないことになるのはやめてほしいと思う。

嵐の二人は異性婚のダブル発表であったが
日本ではまだまだ同性愛には多くの壁がありそうだ。








近年、ドラマや映画が低迷している。
そのひとつの理由として「待てない」こどもたちの特徴がある。
紆余曲折するストーリーよりも簡潔ですぐに答えのでるyoutubeなどが好まれるのは
結末までの過程を楽しめないからだという人がいる。
確かに検索をかければ何らかの回答がすぐ出てくるこのご時世に
どうなるかわからないまま翌週までずるずると
結論を引き延ばされる曖昧な状況がいやになるのだろうか。

短い動画なら気に入らないとすぐに別のものを見ることができる。
面倒なところは先送りや早送りすればいい。
そういうものに慣れたこどもはじっくり授業に取り組めないと聞く。
退屈な話を早送りしたいのにできない、
違う番組(授業)に変えたいのに変えられない。
小さなころからきちんとしたICT教育を行わないと
マイナス面ばかりが増幅されてしまうらしい。

しかしながら大人もまた
待つということはかなりの忍耐を有するのではないだろうか。
よく生徒の答えにある「わからん」は色々な意味がある。
わかっているけど答えるのが面倒な「わからん」。
考えても本当にわからないので答える「わからん」。
もしかしたら考えたらわかるかもしれないけれど
そういう時間ややりとりが嫌で答える「わからん」。

学校でも家庭でもなぜそう答えるのか考えてみてほしい。
そこには待てない大人の事情があるかもしれない。
時間がないからだと言い訳してしまうのは同感だが
こどもに対してはできる限りその言い訳を使いたくはない。
余裕があれば「わからん」の答えに
しつこく食い下がってつきあうことができるのに
なかなか実践できないのが残念だ。

ご家庭ではどうだろうか。

毎年学校には飼育動物の調査がくる。
いつも答えは一緒で、動物を飼っていないと答える。
今は殆どの学校が飼育動物がいない。

私が子どもの頃は多くの主に小学校には動物がいた。
うさぎと鶏といえば定番で
豚なども飼育されていたと聞く。

夏休みには当番制で小屋の掃除と餌やりがあるが
とにかく鶏の世話が怖かったのも
今となればひとつの思い出となっている。

アレルギーや感染症などで飼育をやめる学校が増え
家で生物を飼っていないと
なかなか生き物に触れる機会は少ないだろう。

と思っていたところに
今朝学校玄関の貯水にいる金魚を見て楽しそうに話している生徒がいた。
聞けば金魚に名前を付けて鑑賞しているらしい。

区別がつくのかと尋ねたら
4匹ほどだが見分けられるということである。
なんだかうれしくなった。

次回の飼育動物の調査には
金魚を飼っていると記そうと思う。
餌やりしながら名前も教えてもらいたいものだ。











この夏はパラリンピックに熱い私だ。
今までじっくり観戦してこなかったので
学ぶことが多すぎた。
まだ観ていない人は閉会までにぜひ観てほしい。

何が面白いって
それぞれが自分の障がいと向き合って
自分にふさわしい動きや戦い方で最善を尽くす姿勢が
人生そのものだというところだ。

またガイドランナーやタッパーたちの
選手と限界まで寄り添った姿勢には
相手を理解し共にに生きるといった
私たちへの課題を突き付けられた気がした。

映像に映されるどの人々も
互いを尊重したやりとりと思いやりに満ちていて
一種の理想郷のような印象さえ受けた。
人々を自然と優しい気持ちにさせる空間だったのだろう。

ただここに登場する選手たちは
様々な苦難を乗り越えてきた「英雄(ヒーロー)」である。
今も私たちの身の回りにいるであろう
困難の最中にいる人々を支えることができるとき
パラリンピックの精神が本当に理解されたといえるだろう。






日本はジェンダー格差121位。
G7中では最も低く世界でも意識の遅れた国であり
まだまだ改善には時間がかかりそうである。

日本は女性の地位向上が著しく遅れている。
以前大学の合格者数で男子が少なくなるという理由で
女性の合格者を不合格にするという大学もあった。
女性であるというだけでキャリアにはハンディがある。
数だけ見ても日本全体のリーダーの女性の数は少ない。

教諭時代にはあまり意識しなかったことであるが
管理職になると大きく意識させられるのが男女格差である。
大阪府の中学校校長研修などで集まると女性の少ないことに驚く。
トイレは空いていてありがたいのだが
こんなにも差があっていいのかと懸念する。

私がはじめて教頭になったときは
訪問される方の中には明らかに「女か」といった態度をしめす人がいた。
それでも何年も勤めているとそのうちに認知されるようになった。
ところが校長になるとまた同じようなことが起こる。
ここはいつの時代のどこなのかと思わざるを得ない。

差別というものはもともと被差別者でないと実感しにくいのだろうか。
男であれば「強いリーダーシップ」で「きめ細やか」となるものが
女であれば「独善的」で「細かすぎる」となる。
女性に対して世間が厳しすぎると思うのは少数派ではないはずだ。
しかしながら又よく女性の敵は女性ということも言われる。

女性同士が「敵」となるのは社会のマイナスでしかない。
それぞれの境遇を理解して、未来に活躍する子どもたちが
これ以上女性だからと差別を受けない世の中にしたい。

某市長のメダル事件も相手が女性だったからだと囁かれている。
まんざら否定できない現実であろう。
日本のジェンダー平等化は始まったばかり。











実は私の夢の一つに「宇宙から地球を見る」というものがある。
大人になってから抱いた夢なので
宇宙飛行士になるといった具体的なものではない。
実際自分の目で見る地球はどんな輝きを見せるのか
そして宇宙という広い世界に投げ出されて
人は何を思うのか、そんな未知なるものへの期待がある。

宇宙から見れば地球は本当に小さな星の一つであるし
国境などない小さな地上が並ぶ中、これまた小さな島国があるわけだ。
そしてそこに人が多くひしめいているのである。
宇宙の広さを思えば人の抱えている悩みがどれほど小さなものか痛感するという。
悠久の宇宙時間で言えば、人の人生など瞬きにも相当しない。
それなのにこうもいろいろと悩みの多い世の中だ。

宇宙に行けるなら全財産をはたいていいと思うが
アマゾンの打ち上げる飛行船の一席が
30億だったと聞いてため息が出た。
たった100キロ程度上空で10分滞在するだけでこれだ。
万人が無重力を楽しみながらぷかぷかと宇宙の景色を楽しむのは
私の生きている間には無理なのだろう。

ということでなかなか悟りの境地にはなれない。








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