陰陽記2

コロナ自粛中でどこにも行けない休日、
気晴らしにいくつか携帯ゲームにも挑戦した。
もともとはRPGの方が好きなのだが
短時間でとりかかれるものの中に
二つの画面の違いを見つけるものがあり
隙間の時間に次々と進めてみたのだ。

毎回5つの違いを探すのだが
簡単にクリアできるものもあれば
なかなか難しい問いもあり、
時にヒントを利用しながら
気づけば2000以上の問いをこなしていた。
しかも慣れてくるとかなり短時間で見つけることができる。

さすがに飽きてしまって今はやっていないが
最中、どうしてこうも簡単なものですら見落としてしまうのかと
驚き呆れたことが何度もある。
自分の感覚だけで見ていると何度見ても同じに見えて、
答えがわかれば見落としていたことの方が不思議なほど
容易でクリアに見えてくるのである。

そう考えると、私たちが日常見ているものなど
間違いだらけのものかもしれない。
宇宙規模からすると私たちの生きている世界はもとより小さいのに
その中で勝手な思い込みでわかった気でいることが多いだろうに・・・
人間というのは非力で独りよがりのものである。
せめてもその自覚だけはもち、謙虚にいたいものだ。











「こころとからだのベストパフォーマンス」の心と体は
なぜひらがななのかな?という問いをもらった。
一言では言えないが、それにはわけがある。
まず「ひらがな」の持つ自由なイメージだ。
漢字で書くと文字の意味が発想に縛りをかけるが
ひらがなとなると響きにも比重が動き、受け手のイメージを広げる。

心と体は時に対のように示される。
しかも、心は体の中にある、そういった感覚で捉えている。
しかしながら、実際「からだ」の境界はどこにあるのか。
肉体といえば明確になるが、「からだ」の感覚は人によって違う。
心は脳の働きともいわれるが、今まだ研究途上だ。
自分の中の「こころ」を追究していけば、それは宇宙にまで広がることもある。

「こころ」と「からだ」を考えることは人間を考えることだ。
人間を知ろうとすれば、まず自分自身をみつめることだ。
とっつきやすくベストパフォーマンスと片仮名文字を使ったが
目指しているのは、古来からの哲学である。
コロナ禍で人は多くのことを考える機会を得たともいえる。
「最善のこころとからだ」を未来につなげるよう人類は期待されているに違いない。







私は一中に教諭として、また、教頭として勤務していた。

その教頭時代の6年間、「一中だより」の僅かな余白スペースに
コラムのような文を毎月書いていた。
限られた文字数での、学校便りという制約の中での自由を糧として、
小さな自己表現を続けていたのである。

この春から校長として勤めることになったのを機に、
当時「陰陽記(いんようき)」と名づけていたコラムを
ブログという形をとって再開してみようと思う。

時折過去のコラムも再掲載していきながら、マイペースで進めていくので
ちょっとして息抜きに読んでいただければありがたい。

既存の「一中ブログ」は今後も写真を掲載し、
学校の様子を垣間見ていただけるよう教頭や首席が更新していくので
併せてご覧いただければと思う。

 

以下は、「陰陽記」の名前にまつわる過去コラムである。
少しかたいスタートになるがご容赦を。

 

 

 ノーベル賞をもらった益川理論の難しいことはよくわからないが、恐ろしく横着に言えば「宇宙の始まりビッグバンでできた物質は、全て対になっているはずだったが、その中に一つだけ違うものがあり、それが全ての宇宙のありようを決定づけた」というものらしい。
 実は物理学は東洋哲学と大きな類似点をもつ。このコラム名にもなっている「陰陽」の世界もまた、陰と陽が全く二極バランスよく半々になっているのではない。よく見かける黒と白の円で表されているマーク(下図)には、黒の中に白、白の中に黒が存在している。これは互いがバランスを崩しても常にどちらかがなくなることなく自由自在に動くことができる、ということを表現している。何かしらのアンバランスが新しい動きを作り出すということだ。
 人もまた然り。全く左右対称の顔は何か物足りない人工的な顔になるらしい。そう考えれば、世の中のあらゆる生命体が個々にみな違うのは、そこから生まれる創造の産物が何者かに期待されているということだろう。

                     (平成21年5月)

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