だが、教師という仕事がとても重要で大きな使命を担っていることは変わらない。
そして、それは自分の生き方が全面的に表れるものである。
仕事に優劣はないが、教師の仕事は教え育てるという大役だ。
その教師自身が、こどもに恥じない生き方をしていくべきだと思うのは
私だけでなく多くの保護者の願いでもあろう。
こどもに向かって話すことはそのまま自分に返していく。
生徒にだめだと叱ることは教師もしてはいけない。(頭髪など大人としてできることは別である)
そんな当たり前のことが通る教師集団でありたい。
ことの善悪を論じるとき、人によって価値が様々だという人がいる。
だが世の中にはルールがあり、また、もっと根本に人道がある。
人を殺してはいけないことがルールであるわけがない、だめなものはだめなのだ。
本校では「ふたつのじりつ」ができることを大人になることの目標としている。
一つは「自律」、自分でものごとの善悪を判断できて、自分の感情をコントロールできることだ。
もう一つは「自立」、自分のできることは自分できちんとやり遂げる力だ。
教師もこのふたつのじりつを達成し、こどもに誇れる生き方をしたい。
私たち教職員に「ふたつのじりつ」が欠けているときは遠慮なく伝えていただきたい。
自己反省することも又「じりつ」の基本的姿勢である。
私の場合は「仕事人」であること=「教育者」であった。
少なくともこの仕事を続けている限りはその自覚をもっていたい。
生徒にとって学校は一つの模範社会である。
実際の社会はもっともっと厳しく汚く辛いことが多い。
だからこそ、「教育者」である私たちは「彼らがめざすべき理想の社会」を学校で示す必要がある。
それが私たちの大きな仕事のひとつであり生き方であると私は考えている。