仕事とは何かと問われたら、私自身と答えるほど
私にとって自分が「仕事人」という意識は強い。
対することばが「家庭人」やら「遊び人」やら思い浮かぶが
良し悪しの問題ではなくどれもこれも私には縁遠い言葉なのだ。

前回私が「病人」として生きていると書いたが
それと同じくらい大きく比重を占めているのが「仕事人」の私である。
私はこどものころから、親に自立することの大切さを言われてきた。
家庭が裕福でなかったこともあったと思う。

私は担任をしている頃も通院を必要としていた。
生徒は私の心をわかっているのか
私の不在時に問題を起こすことは決してなかった。
それに助けられて私は仕事を続けてこられた。

保護者からもそれにまつわる苦情は一切なかった。
生徒ともに私を理解し、私のできる範囲での仕事ぶりを
しっかり評価してくださったからだと感謝しかない。
おかげで私は「病人でも働けるという一つの教材」として教壇に立てた。

管理職にならないかと当時の教育長から打診があったときも
病気であることを包み隠さずお伝えしたが
彼はそんなことは問題ではないとおっしゃってくださった。
彼自身が病気と闘いながら働いておられたのだ。

私は病気を抱えていても自立できる社会を望んでいる。
ここのところ池江選手が白血病を患ったのちの大きな活躍をみせているが
彼女の功績は、すばらし競泳の結果はもちろん、
でもそれよりももっと大きなことにあったと思う。

以前よりもメンタルが強くなったと彼女は言う。
また、何番であっても(大会の場に)いられるだけで感謝しようと思ったとも。
彼女のこういった精神は多くの「病人」が持っているいわば病人魂だ。
それを広げてくれた彼女に私は心からの感動をもって拍手した。

病気だけでない、障がいのある人々も、そのほか事情があっても
本人が何かを前向きに取り組みたいと思ったときに
それを少しでも支援できるような学校や社会を創りたい。
だから私にとって「仕事人」というアイデンティティはとても重要なのである。